趣味資格ドリル日本化粧品検定3級化粧品の歴史

日本化粧品検定3級 化粧品の歴史の練習問題(10問)

日本化粧品検定3級の出題範囲のうち「化粧品の歴史」に当たる練習問題を、解説と出典つきでまとめています。 答えを見る前に自分で考えたい場合は、解答形式の練習問題から解いてください。

このページの練習問題は、日本化粧品検定協会の公式教材・試験問題を転載したものではありません。公開されている一般的な美容知識・公式サイトの出題テーマ紹介に基づき独自に作成した問題です。公式団体・公式教材とは無関係です。出典は各問題の解説に明記しています。
  1. 1

    資生堂の創業についての説明として正しいものはどれか。

    • A江戸時代に鉛白粉の製造業者として創業した
    • Bもともとは呉服店として創業した
    • C明治政府によって国営企業として設立された
    • D1955年に大阪で化粧品専業メーカーとして創業した
    • E1872年に福原有信が東京・銀座に、日本初の民間洋風調剤薬局として創業した

    正解: E. 1872年に福原有信が東京・銀座に、日本初の民間洋風調剤薬局として創業した

    資生堂は1872年、福原有信が東京・銀座に日本初の民間洋風調剤薬局として創業した。

    出典: 資生堂「5分で分かる資生堂の歩み」 https://corp.shiseido.com/jp/company/history/5min.html

  2. 2

    「資生堂」という社名の由来として正しいものはどれか。

    • A創業者の出身地の地名に由来する
    • B由来は記録されておらず不明である
    • C英語の単語を音訳したものである
    • D中国の古典『易経』の一節に由来する
    • E明治政府が命名したものである

    正解: D. 中国の古典『易経』の一節に由来する

    「資生堂」という名は、中国の古典『易経』の「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる」という意味の一節に由来する。

    出典: 資生堂「5分で分かる資生堂の歩み」 https://corp.shiseido.com/jp/company/history/5min.html

  3. 3

    資生堂が化粧品事業に本格的に乗り出した経緯として正しいものはどれか。

    • A化粧品事業には現在も参入していない
    • B薬局部門と化粧品部門は一度も分離したことがない
    • C1916年に薬局から化粧品部門が独立し、化粧品部が開店した
    • D1990年代に初めて化粧品を発売した
    • E創業当初から化粧品専業メーカーとして出発した

    正解: C. 1916年に薬局から化粧品部門が独立し、化粧品部が開店した

    資生堂は1872年の創業以来、洋風調剤薬局として出発したが、1916年に薬局から化粧品部門が独立し、化粧品部が開店した。

    出典: 資生堂「5分で分かる資生堂の歩み」 https://corp.shiseido.com/jp/company/history/5min.html

  4. 4

    江戸時代の「お歯黒」についての説明として正しいものはどれか。

    • A歯を白く保つための現代の美白ケアと同じ技法である
    • B眉を剃り落とす化粧法の別名である
    • C五倍子粉と鉄漿水を用いて歯を黒く染める風習で、黒はほかの何色にも染まらないことから貞節の証と考えられた
    • D男性のみが行う化粧法であった
    • E明治時代に初めて考案された風習である

    正解: C. 五倍子粉と鉄漿水を用いて歯を黒く染める風習で、黒はほかの何色にも染まらないことから貞節の証と考えられた

    お歯黒は五倍子粉と鉄漿水を用いて歯を黒く染める化粧法で、黒はほかの何色にも染まらないため貞節の証と考えられ、歯周病や虫歯の予防にも一定の効果があったとされる。

    出典: 国立国会図書館「本の万華鏡 第29回 めーきゃっぷ今昔 ―江戸から昭和の化粧文化―」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html

  5. 5

    江戸時代の白粉についての説明として正しいものはどれか。

    • A江戸時代の白粉には鉛が使われることは一切なかった
    • B白粉は明治時代に初めて日本に伝来した
    • C白粉はもっぱら男性の間で流行した
    • D江戸時代には白粉を使う習慣自体が存在しなかった
    • E色白は美人の第一条件とされ、江戸時代には鉛白粉が広く利用されるようになった

    正解: E. 色白は美人の第一条件とされ、江戸時代には鉛白粉が広く利用されるようになった

    江戸時代には「美白は七難かくす」とされ色白が美人の第一条件と考えられ、伸びや付きがよく安価な鉛白粉が広く利用されるようになった。

    出典: 国立国会図書館「本の万華鏡 第29回 めーきゃっぷ今昔 ―江戸から昭和の化粧文化―」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html

  6. 6

    江戸時代の「紅」についての説明として正しいものはどれか。

    • A紅を唇に使う習慣は明治時代に始まった
    • B紅はどこでも入手できる安価な化粧品であった
    • C紅はもっぱら白粉の代用品として使われた
    • D「紅一匁、金一匁」といわれるほどの高級品であった
    • E紅は化粧品ではなく食品として使われていた

    正解: D. 「紅一匁、金一匁」といわれるほどの高級品であった

    江戸時代の紅は「紅一匁、金一匁」といわれるほどの高級品であった。

    出典: 国立国会図書館「本の万華鏡 第29回 めーきゃっぷ今昔 ―江戸から昭和の化粧文化―」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html

  7. 7

    江戸時代の文化・文政期に流行した「笹色紅」という化粧法についての説明として正しいものはどれか。

    • A頬全体を紅で真っ赤に染める化粧法
    • B眉を金色に塗る化粧法
    • C下唇に紅を何度も塗り重ね、玉虫色に光らせる化粧法
    • D現代でいうチークのみを指す言葉
    • E歯を白く漂白する化粧法

    正解: C. 下唇に紅を何度も塗り重ね、玉虫色に光らせる化粧法

    文化・文政期には、下唇に紅を何度も塗り重ねることで玉虫色に光らせる「笹色紅」という化粧が流行した。

    出典: 国立国会図書館「本の万華鏡 第29回 めーきゃっぷ今昔 ―江戸から昭和の化粧文化―」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html

  8. 8

    明治時代に鉛白粉による健康被害が社会問題化するきっかけとなった出来事として正しいものはどれか。

    • A昭和時代に入るまで鉛白粉による健康被害は一切知られていなかった
    • B明治政府が最初から鉛白粉の使用を全面禁止していた
    • C外国からの輸入禁止措置がきっかけであった
    • D資生堂の創業者が鉛中毒で倒れたことがきっかけであった
    • E明治20年(1887年)、天覧歌舞伎に出演した歌舞伎役者・中村福助が鉛白粉による慢性鉛中毒の症状を呈した

    正解: E. 明治20年(1887年)、天覧歌舞伎に出演した歌舞伎役者・中村福助が鉛白粉による慢性鉛中毒の症状を呈した

    明治20年(1887年)、天覧歌舞伎の公演中に歌舞伎役者・中村福助が鉛白粉による慢性鉛中毒の症状(足の震えなど)を呈した事件が社会問題となった。

    出典: ポーラ文化研究所「近代化粧の幕開け 明治時代3 美意識の変革<化粧法:進化を遂げる白粉>」 https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/30.html

  9. 9

    明治時代の「無鉛白粉」の開発の流れについての説明として正しいものはどれか。

    • A資生堂は無鉛白粉の開発に一切関わっていない
    • B無鉛白粉は昭和後期になって初めて開発された
    • C鉛中毒事件を契機に無鉛白粉の開発が進み、明治期には複数のメーカーが無鉛の白粉製品を発売した
    • D無鉛白粉の開発はどのメーカーも行わなかった
    • E無鉛白粉は江戸時代にすでに主流となっていた

    正解: C. 鉛中毒事件を契機に無鉛白粉の開発が進み、明治期には複数のメーカーが無鉛の白粉製品を発売した

    中村福助の鉛中毒事件を契機に無鉛白粉の開発が進み、明治期には胡蝶園の「御園白粉」や資生堂の「無鉛毒黄色白粉・かへで」など、複数のメーカーが無鉛の白粉製品を発売した。

    出典: ポーラ文化研究所「近代化粧の幕開け 明治時代3 美意識の変革<化粧法:進化を遂げる白粉>」 https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/30.html

  10. 10

    平安時代の貴族女性の間で行われた「眉化粧」についての説明として正しいものはどれか。

    • A眉化粧は庶民のみに許された風習であった
    • B眉化粧は江戸時代に初めて始まった風習である
    • C生来の眉をすべて抜き、白粉を塗った上から、本来の眉より少し上の位置に眉墨で新たな眉を描いた
    • D眉は一切手を加えず自然のままにするのが基本であった
    • E眉を赤い顔料で染めるのが基本であった

    正解: C. 生来の眉をすべて抜き、白粉を塗った上から、本来の眉より少し上の位置に眉墨で新たな眉を描いた

    平安時代の貴族女性は、生来の眉をすべて抜いて白粉を塗った上に、眉墨で本来の眉より少し上の位置に新たな眉を描く「引眉」という化粧法を行っていた。

    出典: ポーラ文化研究所「原始化粧から伝統化粧の時代へ 平安時代3」 https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/009.html

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